小坂秀雄氏

只今電報をまことに有難うございました。ほんとうに感謝の他ありません。先日お手紙を差し上げた後で、またつまらないことに騒ぎ立てる、いつもの悪い癖がでてしまったかと思って、なさけないような、淋しいような気持になってしまったのです。実際、一つ気になり出しますと、実につまらないことが気になって、時節柄をもわきまえず、年柄をも考えず、無理なお願いをして、まことに済みませんでした。ほんとうに後悔していたのです。しかし只今電報を拝見しましたら、にわかに元気がでて来て、われながら子供らしいのに恥かしくなってしまいました。

コンクリートの洗出しなり、小叩きなりにできれば、それ以上の望みはありません。建物の根廻りと揃って、大谷石よりも却って品がよいかと思います。

この数日間こちらの方は恐ろしい風の日が続き、一昨日などは同じ時刻に、近村に数カ所も火事がありました。なかでも一番ひどいのは三百戸あまりもあるかと思われる小さな町で二百五十戸ばかり燃えてしまいました。

こちらにいて一番こまるのは、住宅の問題です。家は町家ですから実に暗く、陰気です。日当りのことなどは、一向眼中においてありません。いま時のことですから容易にあるまいとは思っていますが、できれば東京から二、三時間位で来られるような所へ出て行きたいと思っています。欲望として一番こまるのはデザイン欲です。犬小屋でもいいからやってみたいという気がします。どうせ碌なものができるではなし、自分の才能のないことは誰よりもよく承知しているつもりの自分ですが、それでいて何かやって見たいのです。

町を歩いていてまずい家があると、こんなふうに改造してやったらいいだろうなどとも考えます。暇な時に仕事があれば丹念な仕事ができるでしょうが、暇な時には仕事がなく、いそがしい時には、いやという程いそがしくて念の入った仕事のできないのが世のならいです。役所でも一時やけに忙しいことがあってコンクリートの二階建や三階建などまるで建築のようには思っていず、まったく文字通りに事務的に片附けられました。その頃を思うと実に許し難い罪悪を犯したという気がします。そんな時でもやろうという気さえあれば、いそがしいとは言っても念を入れた設計はできないわけのものではないのです。しかし、そんな時代になりますと、その時の周囲の空気が伝染して、どうかすると、設計などに念を入れることが罪悪のような気がして来るものです。実際その頃建てられた家々で今日多くの人々が粗雑な設計のためにどれくらいの損失を蒙っているだろうかなどと考えますと、おそろしくなります。

先達て東京からの帰りにちょうど信州小諸で夜があけました。私は藤村がとても好きですし、あの藤村が創作に熱中したところかと思うとたまらなく懐しくもなり、嬉しくもなりました。藤村のように、これが自分の道だときめたら、何もかも犠牲にして、その一本道を辿るような人は、世間にはざらにはあるまいと思います。その道に打ち込んだ人の仕事というものはこれほどまでに人の心に交渉を持つものかと今更のように驚いたのです。芸術家の条件として、天分の必要なことは言うまでもありますまいが、その他に肝要なことはやはり芸術に対するその人の態度だと思うのです。兼好法師も私はとても好きです。徒然草を読んでいますと実に心がたのしくなってきます。きまり文句を片苦しくならべて、人におっかぶせるように言うよりも、インキが吸取紙にしみ込むように、静かに、やさしく、人の心の奥底ににじみ込むように話しかけることが、こういう世の中にはとりわけ必要なのではないでしょうか。もう一、二年も前のことになりますが、営繕課で月のはじめに三十分なり、一時間なり早く出て来て行事をやろうという最初のことでした。どうあっても何かやらなければならないのなら、それだけ早く出て来て、製図をやるのが一番よいという案を出したことがありますが、無論落第でした。私はやはり建築家は建築を通じ、建築に精進することによってのみ、世の中に最もよく役立ち得るのだと思うのです。私は建築に対する才能とか感覚とかいうようなものはまるっきり持っていませんが、ただ年甲斐もなく情熱だけはもっているつもりですから、ほんとうに御一緒に建築の勉強をしましょう。つまらない、まるで中学生の考えたり言ったりするような幼稚なことを書きましたが、しかし実際思っているのだから仕方がありません。そのまま正直にさらけ出してお笑草にお送りします。

五・九 吉田鉄郎
小坂秀雄様